The History of J.L.Stifel & Sons
今回から、ウォバシュストライプでおなじみ、Stifel社の歴史を、創業から終焉まで、4世代それぞれにスポットライトを当てつつ、読み物としてお送りします。
年代ごとに、多少重なる部分もありますが、どうぞ、気楽にお楽しみください。
1st Generation J.L.STIFEL 偉大なる創業者
創業者J.L.Stifel
1807年、ドイツで生まれキャラコの染色とプリントを生業にしていました。
26歳ごろ、移民としてアメリカにわたり、ウールの紡績業などで働いたのち、1834年、Wheelingに残る逸話によれば、徒歩でペンシルベニアのベツレヘムよりやってきたと云われます。
1835年には、早くも、ウィーリングの北に小さなログキャビンで染色業を始めています。
最初の本格的工場 1835年、早くもメインストリートと9番通りの角に工場を始めます。
やはり1940年代の資料に、跡地にはアパートが建っているとあるので探しました。 怪しいのがこの二件ですが、どちらも、名前がその資料と違います。 9番通りの真上に、今は高速道路が出来てしまったために、この9番通りとメインストリートの交差部分だけ当時の面影が消し去られてしまっています。
Wabash登場前時代・キャラコプリンターStifel 「防染」と呼ばれる方法で、ごく初期にはプリントと染色を行っていました。 先に、プリントしたくない柄の部分にノリなどでカバーをして、それからインディゴに染めます。 そして、洗うと、その先にプリントしてあった部分が染まらず、柄が残るという方法です。 写真は、その当時使われていた木で出来たプリントブロックです。 このようなブロックを繰り返し打つ作業は、本当の「職人技」の世界です。
ハンコを繰り返し押して柄を表現することを考えてみてください。
Wabashなど、ストライプ状の連続柄が登場するのは、その横にあるまだ、1900年代近くになってからです。
このように、柄の原盤は手書きされていました。 だからこそ、あの独特のうまい、しかし均一では無い、現代のパソコンを使って描くとなかなか再現できない風合いがあることが良くわかる資料達です。
創業者、J.L.Stifelは1935年、Barbara Bechtと結婚。 確認されているだけでも、11人の子供をもうけます。
1859年には、そのうちの二人の息子、Louis C.とWilliam F.が事業にに参加。
1874年、J.L.は引退し、1881年、Wheelingに現代も続くStifel家の祖先はその人生に幕を閉じました。
次回は、その二代目、Louis.CとWilliam F.による、アメリカ最大のキャラコプリント工場への道をお送りします。
お楽しみに。
Back to Column
Workers